転会の証

 

 

 

私の受洗は、自分の意志というよりは本当に導かれたものでした。ピアノの先生の誘いで中学生のころからクリスマスは教会に行くことが自然の流れになっていて、教会は私にとって敷居の高いものではありませんでした。でもそれは一つのイベントでしかありませんでした。19歳のとき、先生と一緒に東京へ行ったときに一泊お世話になったのが洗礼を受けた東京ホープチャペルの西田先生のところでした。日曜礼拝に出席し、「疲れたもの、重荷を負うものは、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」という御言葉と説教を聞き、それまで意地を張って生きていた私は“一人で頑張らなくても良い”と分かったとき涙が出ました。そのとき神様は私の心に触れてくださいましたが、洗礼へ突き動かされることはありませんでした。22歳になる年、ピアノ先生の息子さんが癌になり、2年近い闘病の末、天国に旅立ちました。彼が天国に旅立つまでの2か月余り、近くで姿を見てきました。体の自由が徐々に奪われていく中でもいつも彼の周りには平安があり、私も病院へ行くことが辛くはありませんでした。“なぜこんなに平安があるのか”不思議でしたが、その時は分かりませんでした。

 

が亡くなった翌年のアドベント1週目に東京の教会へ行くことがあり、そこで“神様に愛されたい、神様の子どもとして認めてもらいたい”という気持ちが呼び起され受洗を決意しました。そして2003316日、私は洗礼を受けました。洗礼を受けた後も教会生活をスタートさせたわけではなく、周りを見てもクリスチャンを探すほうが難しい環境に心が折れそうになることもありました。そんなとき集会で顔見知りだったT夫妻からの紹介で戸坂聖書教会の礼拝に参加し始めました。教会生活をしたことのない私にとってはある意味チャレンジでした。でも、毎週、みなさんと一緒に礼拝をすると、心に何とも言えない平安がありました。心が苦しく悲しいときも、教会に行くと「全て御手にある」「安心して大丈夫」と素直に賛美を捧げる喜びとともに礼拝に出席することがいつしか当たり前になりました。

 

昨年の春、大切な出会いがありました。彼はクリスチャンではありませんが、素直に心開いて話を聞いてくれる人です。一生、共に歩んでいきたいと思ったときに、信仰のことをどのように伝えたらいいのだろう、どうしたら神様のことを知ってもらえるのだろうかと考えるようになりました。私がいつも行っているこの教会を知ってもらうことが一番だろうと思いました。私のわがままを我がことのようにみなさんが喜んでくださったこと、神様の家族、神様の深い愛を心から感じました。本当にありがとうございました。

 

結婚式を終え、新しい生活が始まった今、主人自身が、もっとみなさんとつながっていきたい、時間があるときは礼拝に出たいと思ってくれていること、それが本当に私の喜びです。

 

転会について、何年も迷っていた私に、東京ホープチャペルの西田先生が、東京ホープチャペルは私にとっては、実家のようなものなんだよ。だから、籍を変わったからと言って切れるものではないんだよ。神様の前ではみんな家族じゃないかと私を後押ししてくださいました。なので安心して、転会を申し出ることができました。

 

今回、お話ししたことのどれ一つが欠けても今日の転会にはつながっていきませんでした。私の思いや願いではない、想像もできないくらいの神様の愛が、みなさんとの出会いを与え、転会に導いてくださったことを心から感謝します。これから、今まで以上にこの戸坂聖書教会で、神様を賛美し、伝道者の一人として神様が用いてくださいますよう、心から願っています。みなさま、これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。